2015年6月4日木曜日

十八史略(66)-伍子胥と呉越戦争(27)

 
黄池会盟 呉王夫差 晋の定公と覇権を争う
越兵が呉都に乱入したしらせは、早馬によって、黄池にいる夫差にもたらされた。


「小癪な!」

「この事実を外に漏らす者は斬る!」

と夫差は厳重な箝口令をしいた。

秘密漏洩のかどで、斬刑に処せられた者が7名いた、とある。黄池の会盟は、結局晋の定公が長となった。地理的に、いつでも大軍を繰り出すことができたので、その力のまえには、夫差もどうすることもできなかった。

「大王さま、勾践のような賤しい者の名を、そう口になさいますな」

と、西施は眉をしかめて言った。

夫差は出征のときも、陣中に西施を伴っていた。片時も離さなかった。西施は眉をひそめると、一そう美しくみえた。眉のあたりに、ひきしまったポイントがつくられ、それが新しい魅力を生む。当時、呉王の宮殿では、宮女たちが西施を真似て、悲しくもなんともないのに、眉をひそめるポーズをつくるのが流行ったという。西施捧心という。

「ほう、勾践は賤しいか」

「カラスのような口をしております」

「なるほど、勾践の口はとがっておるわい」

口のつき出たのは、卑賤の相とされていた。

怒りはエネルギーである。本来なら、そのエネルギーが燃えているうちに、急ぎ東南にとって返し、越を討つべきであろう。それなのに、西施は夫差の怒りを操作した。

黄池での会盟のあと、彼はすぐに帰国せずに、宋を討とうとして、中原の地をうろうろしていた。

「宋を討って、勝てないことはありませんが、国もとがしっかりしておりませんから、いずれにしても帰国しなければなりません」

と、大臣の伯嚭は言った。

帰国の途中で宋を討伐するのは、余力をみせるためである。現実は厳しかった。詳報が入るにつれて、越の進攻がたんなる駆け足のひっかきまわしではなく、予想以上のダメージを与えられたことが判明した。

 

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