2015年5月13日水曜日

十八史略(44) 伍子胥と呉越戦争(5)

 鄭の国からは、東南の方向に逃げる形になるのだが、このあたりは、楚、鄭、呉の国境が複雑に入り混じっており、あちこちに関所があった。従者は連れていない。伍子胥と幼い勝のふたりだけであった。かれらは、楚と鄭のお尋ね者である。鄭の追っ手や楚の捜索隊を避けたり、逃げたり、 悪戦苦闘して呉への道を急いだ。楚では、伍子胥の首に賞金をかけた。

――粟五万石

――執圭の爵

当時としては、未曾有の懸賞である。

粟とは、アワのことではなく、穀皮をとっていないモミのことで、転じて俸禄の意味に使われた。執圭とは、主君から領地のシンボルとしてもらう玉器「圭」を所持する爵位のことである。

すなわち、伍子胥の首には、5万石の俸禄と王族の地位がもらえるということである。

伍子胥は逃げに逃げて、揚子江の川岸にたどりついた。もう夕暮れ時で、あたりは暗い。顔もよく見えない。

そこに漁船が一艘、舫っていた。舟にはひとりの老漁師がいた。

「乗せてくれんか」

伍子胥は声をかけた。

「よろしいよ」

老漁師は、舫いをほどき、伍子胥たちの方に舟を寄せた。

伍子胥は勝を抱いて、悠々と舟に乗った。さりげなく、松林を見ると、何人かの人影が近づいてきた。

「その舟、かえせ、かえせ」

伍子胥は老漁師の様子を窺ったが、表情はまったく変わらなかった。対岸に無事着き、渡し賃を払おうとしたが、無一文である。仕方がないので、腰に帯びていた剣をはずし、

「これは百金の価値がある。おやじさん、渡し賃にとっていただこう」

すると、老漁師は、自分の鼻先を扇ぐようにして手を振り、にやりと笑って、

「百金なんて、そんなのが欲しくて、渡してあげたのじゃあない。五万石の俸禄も執圭の爵位だって、こちとらはほしくないだに」

伍子胥は思わず、

「すまぬ。ありがとう」

と頭を下げた。

老漁師は、かれを伍子胥と知って助けたのである。欲得抜きで。

伍子胥は、勝の手を引いて呉へ向かった。

 しかし、このあとも難渋を極めた。途中で病気となり、乞食をしながら、旅を続けた。まさに苦心惨憺たる旅であった。

 

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