2015年5月10日日曜日

「十八史略伍子胥と呉越戦争(2)」

伍子胥像
   ところが費無忌は不安であった。平王は即位して、1年と若いとはいえ、嫁を迎えるほどの大きな息子がいる。秦の王女の一件は建も知っていた。費無忌らが隠そうとしても隠せるものではない。心の底で費無忌を恨んでいるに相違ない。平王に万が一のことがあれば、太子の建が楚の国のあるじとなる。その時は自分の首が刎ねられるときである。費無忌はよく分かっていた。

「早いうちに太子を無きものにしておかねば、安心して眠れない」

費無忌は、得意の舌で平王を焚き付けた。

「太子は秦の王女の件を恨みに思い、ひそかに諸侯と連絡をとり、いつか造反しようとその機を窺っておられますぞ」

平王と秦の王女との間には、軫(しん)という男の子が生まれており、可愛くてたまらない。なんとかして、太子にしたいものだと考えていたので、費無忌の讒言に簡単に乗った。

 平王は太子の太傳の伍奢を都に呼びつけて詰問した。むろんのこと、伍奢は太子に謀反の意思のないことを強調し、謀反の気配すらないことも申し述べた。

「太子が謀反を起こされるときには、伍奢親子が手を貸し、有力な柱となりますぞ」

と、費無忌は平王を説得していた。

平王は伍奢を拘束すると同時に太子の建を殺させるために奮揚という者を派遣した。幸いに奮揚は費無忌の意気がかかっておらず、早便を送って、太子に急を知らせた。

太子は、宋に亡命した。

伍奢には、伍尚、伍子胥というすぐれた兄弟がいた。

この兄弟のところに王から使者が来た。

―おまえたち二人が都に来るなら、父の命はたすけてやろう。さもなければ、父の命はないものと思えー

と、伝えた。

兄の伍尚は、

「わたしは行くことにするが、おまえは太子のいる宋に行け」と言った。

伍子胥は即座に「それはなりません」と反対した。

「王の言うとおりに都に行っても父の命が助かるはずもありません。それよりは、父の仇を討つことを考えるべきでしょう」

「たしかにそうだ。お前は仇を討つことに向かえ。しかし、息子が行けば助かるかもしれないのに行かなかったとあれば、後世まで世間の嘲りをくらう。

だから、おれは、都に行くが、お前は太子建のあとを追え。そして、仇を討つのだ。復讐も果たせずに死んだとあっては、伍家の恥でもある。父上は息子が二人いてよかったな」

そう言って伍尚は笑った。しかし、伍子胥は唇が切れそうなくらいに噛み締めていた。すさまじい怒りで真っ赤に燃えていた。伍子胥の怒りは、激しい行動に代わった。

 

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