2014年9月15日月曜日

「十八史略(28)-重耳と驪姫(4)」

 東山討伐の4年後、献公21年(紀元前656年)になって驪姫は仕上げにとりかかった。驪山から晋に連れて来られて16年が経過していた。辛抱強く献公の体力が衰え、気力が尽きるのを待った。

 建物の基礎部分はすっかり腐らされ、嵐が来れば、壊れるばかりになっていた。
 
 ある日、驪姫は曲沃の宗廟から参内してきた申生に、
 「殿様は、あなたの母上の夢をごらんになったそうです。大至急、曲沃の廟でお祀りして、その供え物を殿に献上なさいませ」と言った。祖先の祀りは、庶民は肉を供えることは許されなかったが、申生の母は王族であったために牛、豚、羊を供えることが出来た。そして、これらの供え物は胙(ひもろぎ)、あるいは福と称して血縁のものに贈られた。

 申生は祀りをすませたあと、供え物をもって宮殿に赴き、父に献上しようとした。しかし、献公は狩猟に出かけて不在であったので、供え物を宮中に預けた。

驪姫はその中に毒を盛った。

献公が戻って来ると、料理長が申生が献上した供え物を並べた。

献公は、それに手をのばし、口に入れようとした。この時、驪姫が
 「お待ちください」とそばから声を出した。

 「曲沃からは遠い道のりですので、傷んでいるかも分りません。試してみてはいかがでしょうか」

たしかに腐敗の心配をしてもおかしくない。献公も
 「そうだな」と肉を犬に与えたところ、犬は一声鳴くとばったりと悶絶してしまった。念のために奴隷を連れて来て酒を飲ませたところ、これも血を吐いて倒れた。

 「おのれ申生め」と献公は怒った。

これを見て、驪姫は涙を流しながら
 「申生さまがこんなことをなさるはずがありません。悪党があの方を利用しようとしたのでしょう」
 と申生をかばった。

老いた献公は、こういうひどいことをされても庇う驪姫を見てますますいじらしく感じ、逆に申生への怒りが増した。

 

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