2014年9月12日金曜日

「十八史略(27)-重耳と驪姫(3)」

金玦
 太子の申生、その弟の重耳、夷吾を遠隔地に遠ざけてから、献公は赤狄族の分派である東山を討伐することにした。討伐軍の総司令官には太子の申生が任命された。

大臣の里克は、
 「太子には、祖先の祭祀を行なうという大事な仕事があります。太子を将軍にするのは前例がありません。どうかお取り消しをお願いいたします」

と諌めた。しかし、献公は聞き入れなかった。

太子は、出陣にあたって、父の献公から偏衣と金玦を送られた。そして、それを身につけるように命ぜられた。

偏衣というのは、左右の色が違う服である。片方は、君主の服に似た色を用いる。半ば君主であるというので、その後継者に相応しい服のようだが、実はそうではない。君主と断絶されているということを表す。金玦は装身具である。環のようであるが、まるく繋がっていない。これは、つながっていないぞという謎かけであった。

 太子みずから軍を率いて外征するのは、異例のことであった。
 申生は、
 「わたしは、父に愛されていない」と感じた。

 幸いに申生は東山討伐に成功した。もし、失敗していれば、ほかの将軍のように敗戦の責任をとらされたであろう。

 ある日、宮廷俳優の施が、申生を訊ねてきた。

 「あまりといえば、あまりではありませんか。太子であるあなたさまを廃立するような仕打ちではありませんか」
と、申生の愚痴を聞こうとしたが、申生は施が驪姫の腹心であることを里克からも聞いていた。申生がことばに乗ってうっかり愚痴でも漏らそうものなら、尾ひれがついて大変なことになるだろうと自覚していた。日本の飛鳥時代に大津皇子がいた。彼は、僧行心のうまいことばに乗せられ、心にもないことを発し、謀反の罪を着せられた。その面からいえば申生は賢い人間というべきであろう。

 

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