2014年8月19日火曜日

「十八史略(12)―鮑叔牙と管仲①」

 いよいよ宮城谷昌光氏が得意とする春秋戦国時代に入る。春秋戦国時代は、盟主周が秦の始皇帝に滅ぼされるまで約500年続くが、その前半を春秋時代、後半を戦国時代という。この時代をなぜ春秋時代というかは、孔子が編纂した年代記『春秋』がちょうどこの時代に当たるからという。

 春秋時代は諸侯が諸侯連盟のリーダー、すなわち覇者になることをめざして争った。戦国時代の諸侯は、盟主ではなく王者にならんとして戦った。戦国時代は、春秋時代のように生易しいものではなく、食うか食われるかの熾烈なものであった。まさに弱肉強食の時代であった。

 周が西の犬戎に追われて洛陽に遷都したのが紀元前770年。晋が事実上、三国に分立した紀元前405年頃までを春秋時代と呼ぶ。この間に有力な覇者が出ている。覇者の第1号は、斉(現在の山東省)の桓公である。

 桓公は太子ではなかった。位を継ぐ太子は、桓公の兄の諸児(しょげい)であった。桓公は名を小白(しょうはく)といった。別に糾(きゅう)という兄がいた。ほかに文姜(ぶんきょう)という姉がいた。文姜は魯国の主の妻となった。

 少年時代、小白は、守役の鮑叔牙に、

「わたしはこの国の主にならねばならぬ」と言った。

鮑叔牙は、蒼い顔をして慌てて、小白の口を手で押さえようとした。

小白は、鮑叔牙の手を逃れて、

「心配するな。お前以外には言わない」

「それにしても、なぜそういうことを言うのですか」

 と聞いたが、小白は言わなかった。鮑叔牙もそれ以上聞かなかった。

 

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