2012年10月21日日曜日

原田泰氏の震災復興欺瞞の構図(34)


前日からの続きです。
原発事故の教訓
「放射能は、同心円状ではなく風や雨によって不規則な形で飛び散るものだから、ただ同心円状に避難せよというのはまったく不十分であった。SPEEDI(文部省・緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)によって放射能の飛散状況を予測していたにもかかわらず、その予測は避難には使われず、住民は必要のない被ばくをうけた。

事故の直後には計画停電という名の無計画停電があって、日本経済という以上に日本社会が混乱に陥った」
高額な予算を使って開発されたSPEEDIが、肝心なときに役に立たなかったというのは、科学者にとっていたたまれないもののはずです。このひとたちは、何をしていたのでしょう。国が発表しないならば、自分らでネットに流せばいいでしょう。それが、科学者の良心と思います。

原発依存のルーツ
「ほんの少しの昔でも、それがどんな時代だったかを思い起こすのは難しい。ヒロシマとナガサキの惨禍を経験した日本が、なぜ原発大国と言われるほどに原子力発電所を建設するようになったのか。

なぜ原子力発電所ができたかと言えば、当初は、国家戦略であったと思われる。おそらく国民は原子力発電を歓迎したと思われる。同時に、迷惑施設と認識し、近所ではなく、どこか遠いところなら原子力の平和利用は歓迎という意識であったと思われる。視のゴ、迷惑施設と引き換えに、受け入れ地域に多額の税金を投入するという制度が整備される。

多額の税金で贅沢してしまった受け入れ自治体は、その税金を得続けるために、次々と原発を作らせるしかない。多くの原発立地で何号機もあるのは、そういう仕組みがあるからだ。一つ作ればいくつも作れるという仕組みができて、原発は日本に54基もできた。

原発の建設は、確かに国家戦略として始まった。核武装の選択も視野にあったのかもしれない。しかし、核武装するにしても、福島第一原発を一年間使用するだけで広島型原発の数千個分の核物質ができるということだから、54基も作る必要はなかった。

原子力利用技術を発展させたいというのなら、同じものを作っていては駄目である。新しいアイデイアを入れて別の原発を造らなければ技術は進歩しない。同じものを作るのは、それによって安くできるからだ。しかし、原発は夢のエネルギーで圧倒的に安価なエネルギー源であったのではなかった。もし原発の発電コストが本当に安いのなら、もっと技術開発にお金を使って、安全対策にコストをかけても良かったのではないか」

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