2012年7月5日木曜日

ジョン・ウェインはなぜ死んだか(9)

 アイゼンハワー大統領がつぎのように語っていた事実が、いま明らかにされました。
「大衆を“水爆”、“熱核爆弾”、“核分裂”、“核融合”といった用語で少し混乱させておけばよいだろう。そうすれば、あまり関心を持つまい」
この発言は、『征服者』ロケ隊がユタ州に入る前の年のものでした。
実験をおこなっていた当局の研究グループは、「ここで、“危険だ”と意見を変えることなどできるものか。こうなれば、“安全だ”と言い続けるほかない」という上部の指示に従い、データを隠してしまった。
  ノーベル賞化学者ライナス・ポーリング博士、AEC(原子力エネルギー委員会)のジーサマン博士、ローレンス・リバモア研究所のゴフマンとタンプリン、その数は限りない。これらの人間はみな、国家から頼まれて安全研究をおこなっていた最高頭脳でした。
いつの時代も推進者は、都合の悪いことは、一般大衆に隠そうとするようです。日本でもそうですが、学識経験者というのは、信用がおけません。これを馬鹿なマスコミが、持ち上げるのでおかしなことになり、世の中を間違った方向に引き摺ります。

ワイス博士は、ユタ州の発癌率が全米の4倍に達することも報告していました。
レイモンド・セルツァー博士は、1979年にユタ州でシンポジウムが開かれた時、「南部ユタの地方医師が診断したというガンの症例は、医者の知識不足による誤診だろう。集団ヒステリーにすぎない」と発言しました。傲慢な発言です。

セント・ジョージのアーネスト・メイは、怒りに体を震わせながら
「政府はヒロシマのデータを持っていた。すべて知っていたのだ。妻が殺されたことが100パーセント間違いない」
と語っています。
ヒロシマに原爆を投下する前に、ニューメキシコで最初のテストがおこなわれた時すでに、馬などに現れた影響を、政府は見ていました。
「政府はサッカリンやタバコの発ガン性について、莫大なお金を使って危険を警告してきたけれど、このことについては、莫大なお金を使って安全を宣伝してきた」
とグレナ・オートン夫人は怒りを爆発させました。
警告を発しようとして犠牲になった人のなかには、カレン・シルクウッドという若い女性の名もあります。
彼女は自分がこっそり調べあげた“情報”をニューヨーク・タイムズの記者に手渡す約束を交し、19741113日に、自分の会社(プルトニウム燃料を製造しているカー・マギー社)から車で出発しました。そして、ハイウエイ74号線を走り去って行きましたが、カレンは、どこにも着きませんでした。
会社から1キロと離れていない小川に突っ込んで大破した車のなかに、死骸だけが、腕をブラブラに揺られたまま残り、持っていたはずの資料は紙一枚発見されませんでした。28歳の命でした。
わかっているのは、彼女が自動車レースに優勝した経験を持ち、その辺を自分の庭のように乗りまわす運転技術を持っていたことと、バンパーに2ヶ所、新しい異様な凹みがあり、“何か”が、うしろから衝突しということだけでした。
しかも生前のカレンはこともあろうに、“情報”の処理をAEC(原子力エレルギー委員会)に相談していました。そのあと彼女の体が異常な放射能を発するようになり、ただちに会社の命令で自宅が検索され、冷蔵庫に入っていたボローニャ・ソーセージなどから大量の放射能が検出されたとき、すべての家財が持ち去られ、汚染物質として破棄されました。

0 件のコメント: