2012年5月9日水曜日

佐高信の「原発文化人50人斬り」(18)

与謝野馨

佐高氏は、与謝野をも糾弾しています。
「原発事故を『神様の仕業としか説明できない』とまで言って東電を擁護する与謝野には、まず、次の歌を示そう。
聞きたきは抱負にあらず 国政の重きを畏る一言なるを
寮監・佐藤正能の歌である。
野党から与党に何の反省もなく移って抱負を述べている与謝野はもちろん、そんな与謝野を大臣にした菅直人にこそ痛烈に響く歌だろう。
与謝野の無神経な住み替えを、『東大病さ』と一言で片付けた人がいたという。肩書きというか、ポストが欲しくてしょうがなくて、ないと冬空に下着だけで歩いているような気になるのだと、いうわけである。

与謝野が秘書をしていた中曽根康弘は日和見主義者と言われた。それまで厳しく批判していた佐藤栄作に誘われるや、佐藤内閣の大臣になってしまったりしたからである。与謝野は中曽根から、この日和見の術を学んだらしい。それはその後、恬として恥ない厚顔の術をも必要とする。
日本原子力発電に入ったためか、福島原発の大事故後も原発は必要と主張している」
わたしは、与謝野氏が、原発にも噛んでいることを知りませんでした。評論家とは、大変な仕事です。

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