2012年4月27日金曜日

佐高信の「原発文化人50人斬り」(7)

大前研一
若いころは批判精神旺盛だった新聞記者も、10年も経つと『体制を守る側』になることを嘆きながら、大前はこう胸を張っているのである。
なかには勇気のあるジャーナリストもいるが、しかし勇気のある主張ができて、ちょっと人気が出てくると講演などに呼ばれるようになり、それで自分稼げるようになると、とたんに体制側になってしまう。なぜかといえば、自民党や政府は、そうした人をすぐに審議会などに入れ、体制側に組み込んでしまうからである。
注意していないと、アッという間に原発礼賛者が原発警戒者に変わる。盗っ人が岡っ引きになるようなものである。
マサチューセッツ工科大学を経て日立製作所に入り、原子力開発部で高速増殖炉の炉心設計をやったこともあって、大前はアメリカのスリーマイル島やウクライナ(旧ソ連)のチェルノブイリ大事故後も、原発危険論者を強く非難してきたのだが、最近になって『原子力の時代は終わった』などと言っている。終わったのはお前の時代ではないのか。
多分、大前は、もう電力事業は自分のスポンサーにはならないと見切りをつけたのだろう。俗に言う、『カネの切れ目が縁の切れ目』である。
 中国電力の上関原発に反対しつづける祝島の人たちが1980年代におおきな看板に掲げた
『上関原発音頭』がある。
町長選挙で50
旅にさそうて1万円
チラシを配って5000
名前を貸すだけ1万円
印かん集めりや金と酒
ちょいと顔出しゃ寿司弁当
金がほしけりや中電サ
これじゃ働く者がバカ
原発推進ヨヨイのヨイ
これが一番で四番では『人間滅びて町があり、魚が死んで海があり、それでも原発ほしいなら、東京 京都 大阪と オエライさんの住む町に、原発ドンドン建てりやよい』と歌われる。『ここは孫子に残す町』だというのである。
もっともらしく、『生活者革命』などという本を出した大前に、この祝島の住民の気持ちはわからないだろう。
『皆で投票した議会がこの道路を通すと決めたなら、立ち退きは強制的に行われるべき』として、成田空港問題での強制執行を勧めた大前にわかってたまるかである。

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