2012年4月8日日曜日

日本一の幸福者、本多静六の人生の秘訣(17)

昨日からの続きです。

22.金欠病対策

山林学校に入った当時の本多は、一家が困窮のどん底にあって、1年で50円の学資しか出してもらえなった。子供のころからいかに貧乏に慣れた本多でも、月謝と寄宿舎費を前納してしまうと、手元にはもはや一銭の小遣いも残らず、すこぶる弱ったものである。

苦心の末に案出したのが、今日でいう一種のアルバイトである。すでに払い込んだ寄宿舎費の中から、外食をして欠食届けを出すと、一定額の払い戻しが受けられるので、それを目当てに、毎日曜日、必ず四谷の知人宅まで家事の手伝いに出かけた。

本多は日曜ごとに特別の早起きをした。そうして、空き腹を抱えながら、14キロの道を四谷仲町(現在新宿区南元町附近)まで急いだ。

先方も歓迎して待っていてくれ、畑仕事や掃除の仕事をあてがって、三度の食事にはごちそうをどっさり出すのが常であった。

 28キロの往復を7日ごとに繰り返したのだが、これで1125厘、1ヶ月4回で50銭の欠食の払い戻しが受けられた。

学生服は官給だったが、靴下は自弁なので、いつも素足にドタ靴を履いていた。四年を通じてただの一足ですまし、履いているよりポケットにしまっているほうが多かった。

訪問先の門前まで行って履いて、帰りには門前で脱いでしまったのだ。

本多の家では、昔から買い物はすべて現金主義だった。御用聞きというものは絶対に入れずに、必要なものは何でも、現金を持って、こちらから買いに出かけた。

本多の家では、衣服などについて、いつも「つもり買いのつもり貯金」というのをやった。呉服屋のショーウインドを外から眺めさせて、気に入った柄、気にいった物はいつでも望みどおりに買うことに賛成する。しかし、それを即座に持ち帰るのではなく、ただ買ったつもり、買った気分にさせるだけである。

その品物と同額のお金を銀行に預けさせておく。すると、欲しいと思ったものもいつしか欲しくなくなり、必要と思ったものも必要でなくなって、貯金だけがちゃんとあとに残るという仕組みである。

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