2012年4月21日土曜日

佐高信の「原発文化人50人斬り」(1)

 この本は、以前から読もうと思っていたのですが、あまりかぶれるのはどうかと思い、読むのを躊躇っていました。しかし、佐高氏が、原発推進の巨頭のように扱っていた吉本隆明氏が亡くなったので、再度、読み直してみました。以下、「原発文化人50人斬り」から、ピックアップしました。
「何年か前、青森県知事選挙があった。原発ストップ派と一時凍結派、そして推進派という構図になったのだが、凍結派が、当事絶大な人気を誇ったアントニ猪木に応援を頼んだ。応援料は150万円である。ところが、その後、推進派がバックにいる電気事業連合会からカネを引き出したのか、1億円を出すと言ってきた。1億円である。
それで猪木は150万円を返し、推進派を応援して一億円を得たという。
これは猪木の秘書だった佐藤久美子著『議員秘書 捨身の告白』(講談社)に出ている話で、この秘書を猪木や電気事業連合会が訴えることはなかったから事実なのだろう」
やはりタレントが応援しているものには、心してかからねばなりません。ほかにもたくさんあるように思います。
原発文化人を許してはならない
さらに佐高氏は、
「必ず、推進派は息を吹き返すだろう。その波に乗ったのは猪木だけではない。ビートたけしをはじめ、漫画家の弘兼憲史、経済評論家の勝間和代、作家の荻野アンナ、幸田真音、俳優の渡瀬恒彦等、電力会社のPRに協力して、原発安全神話をつくりあげた輩はたくさんいる。彼らを許してはならないのである。弘兼など、被災者に対して、元気を出して下さいなどというメッセージをどこかで出していたが、盗っ人猛々しいと言わなければならない。お前にだけは言われたくない。
被害が広がり、長期化すると、前記弘兼のように、加害者が救世主のごとき顔をする例が出てくる。あるいは、被害者のごとき顔さえする。
魯迅は『水に落ちた犬を撃て』と言った。弘兼や勝間は水に落ちていない犬である。彼らを水に落とし、トコトン撃たなければならない。
弘兼もそうだが、大前研一のように、原発を推進したのに、今度は一転、「日本原子力産業は終わった!!」という副題の『日本復興計画』(文藝春秋)を出し、“犯人”が十手を持つかごとき例が少なからず見受けられるからである」。佐高氏は、あくまで痛烈です。こういう人は、おかしな金を貰わないでしょうから、信念なく、金で動く人には、煙たい存在でしょう。
原発文化人25人への論告求刑
アントニ猪木。猪木の秘書だった佐藤久美子の『議員秘書 捨身の告白』によれば、最初、原発一時凍結派の候補から150万円で来てほしいと頼まれた猪木はその候補の応援に行くつもりだったが、推進派のパックにいた電事連から1億円を提示され、あわてて150万円を返して、そちらに乗り換えたという。
高木仁三郎。『市民科学者として生きる』(岩波新書)に、ある原子力情報誌の編集長から、3億円を用意してもらったので、エネルギー政策の研究会を主宰してほしいと誘いがあったと書かれている。高木は「現在だったら100億円くらいに相当しようか」と注釈をつけている。
幸田真音。電力会社の広告に協力した幸田真音を批判したら、自分はそんなにもらっていないと弁解してきた。無思想の作家は電力会社にとってもお飾り的に使い勝手がいいのである。
荻野アンナ。“原発おばさん”
安全神話の最大のホラ吹き役が漫画家の弘兼憲史。脳科学者として売り出した茂木健一郎養老孟司がこれに次ぐ。

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