2012年3月29日木曜日

日本一の幸福者、本多静六の人生の秘訣(7)

昨日からの続きです。

11.チャンスの作り方

鉄鋼王・カーネギーは十三歳のとき、故郷のスコットランドから母と共に北アメリカに向かった。貧乏から脱するためである。その船中で、カーネギーは船の道具や機械の名前を船員に教えてもらいつつ、船員の手伝いをした。

北アメリカに着いてからは、木綿工場の糸巻き小僧になり、1週間1ドル20セントの賃金にありつき、その後、週給4ドルに増額された。その間にも、絶えず好機を逃がさないで、いろいろなことを覚えて、身につけ、15歳で郵便配達夫になったときには、余暇に電信技術を熱心に学び、習得した。

彼は、何でも覚えておけば、いつか役に立つと信じていたのである。電信技術の技能も評価され、16歳のときには電信技手として採用された。1ヶ月の賃金は、50ドルになっていた。

その後も、彼の努力と正直な人柄は先輩から認められ、鉄工場の主任になり、どんどん出世して、ついには世界一の鉄鋼王と称されるまでになった。

12.「知的生産」を支える手帳活用法

知識はちょうど小鳥のようなもので、目の前に飛んできたときにとらえてカゴの中に入れておかなければ、過ぎたが最後、もはや自分のものとすることはできない。

常に手帳を懐に入れておいて、頭に浮かんだすべての考案、工夫、研究課題、その他しようと思った事柄は、思いついたその折に、電車の中でも布団の中でも、必ずその要点を書き留めている。

 思うに人生とは、このような断片的知識を集積したものにすぎない。そして、その小鳥をカゴに入れず、逃がしてしまう人が、愚人または失敗者、落伍者と称せられるのである。


 本と書くことができたのは、ひとえにこの手帳のおかげと言ってよい。

長年の経験から、近年は取り替えの可能なルーズリーフ式の手帳に変えた。

八項目に分けて記載し、常に一センチほどの厚さに保ち、古い分から順にこれを差し換えている。




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