2011年12月24日土曜日

佐野眞一の津波と原発(29)

 正力松太郎は、記者会見では、

「東海村を東洋の原子力センターにするつもりだ。アイソトープは病気の治療にも使えるそうじゃから、わしも病気になったら東海村のアイソトープで治療してもらおうと思うとる」と怪気炎をあげました。

原研の設立、東海村の決定と、矢つぎ早に原子力政策を放った正力は、すでにアメリカから研究炉を購入することも決めていました。

これは国産の原子炉を研究開発するためのもので、イギリスの発電炉購入一辺倒だった正力には、アメリカの顔を立てなければならない事情もありました。正力としても、日米原子力協定で濃縮ウランの提供まで締結したアメリカを、それ以上ソデにするわけにもいきませんでした。またコールダホール原子炉はその後の調査で経済的にあまりペイしないことが判明したことも、アメリカからの研究炉購入に踏み切らせました。

アメリカから購入したノース・アメリカ航空社製のウォーターボイラー型低濃縮ウラン研究炉の組み立てが、東海村で始まりました。この原子炉は組み立てからわずか1週間後の827日に早くも臨界に達したといいます。

それから約1ヶ月後の918日、正力はこの原子炉の”火入れ式”に、主賓の原子力委員会委員長として列席する栄誉をにないました。

この日は、正力の生涯にとっても一つの臨界点でした。

「プロ野球の父」「テレビの父」と言われた正力の頭上に、この日、「原子力の父」という新たな称号が加わったわけです。

わが国の原子力政策の足取りと、それをめぐる内外の情勢の変化を、正力を軸にしてもう一度振り返っておきましょう。

昭和28128日、アイゼンハワー米大統領「アトムズ・フォーピース」演説

昭和2931日 米ビキニ環礁で水爆実験「第五福竜丸」被曝

昭和30217日 正力、富山二区から無所属で出馬、衆議院議員に初当選

1114日 日米原子力協定調印

昭和3111日 正力、初代原子力委員会委員長に就任

    15日 正力、原子力発電の5年以内の実現を発表

    31日 日本原子力産業会議発足

    46日 茨城県東海村を原研の敷地に決定

    516日 英コールダホール発電炉開発責任者ヒントン卿来日

    917日 原子力産業使節団、米欧の原子力事情視察に出発

    1017日 英コールダホール原子炉完成

昭和32918日 東海村第一号原子炉火入れ式

これほどの力をふるいながら、正力は政界においては、自分の派閥をつくることさえできませんでした。読売社内を強大な権力で支配した正力の神通力も、さすがに永田町までは通用しなかったというわけです。総理総裁になるという正力の野望は、ついに実現できませんでした。

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