2011年12月14日水曜日

佐野眞一の津波と原発(20)

 佐野氏は、翌日、事故を起こした福島第一原発に最も近づける海沿いのポイントに行ってみました。原発から約1キロ、第一原発全体が間近に見える防潮堤の上に立って、息をのんだといいます。

「崩壊した建屋や、その下の建物に突き刺さった何台もの車が、手に取るように見えた。防潮堤はいたるところで崩落し、あの日襲った津波の破壊力のすさまじさが、いまさらながらわかった。

重大な事故を起こした福島第一原発のお膝元で暮らしていた双葉街の住民は、いまどんなことを考えているかを探る手がかりにもなるので、それを少し紹介しておこう」

 六十代建設業男性

「結局、北朝鮮と一緒だったんだ。いい生活できるからって、原発を受け入れたら、こんなひどいことになっちゃった。いま、百万円やるからって言われても北朝鮮に行くヤツなぁんて一人もいねえよ。

原発ができたのが40年前。20歳そこそこで働きはじめて、原発のおかげで家も建てられ、こどももできた。それで、やっと定年になってこれからのんびりと思っていたときに、今度の事故で全部パアだっぺ。

以下は、一時帰宅の話題が出たときの避難民たちの雑談です。

「一時帰宅してそのまんま戻らなかったら、どうなんだべ」

「そりゃ、逮捕されんじゃねぇのが」

「そしたら、三度三度、メシがタダで出るからいいじゃねぇか」

「だったら、ここ(避難所)と一緒だっぺ」

「いや、向こう(刑務所)は働かないといかん」

「あ、タバコも吸えんのか。それじゃこっちの方がまだいいな」

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