2011年12月13日火曜日

佐野眞一の津波と原発(19)

 佐野氏は、「原発労働者の言葉の貧しさは、人間で最も大切な精神活動まで去勢されてしまっているのだろうか。同じエネルギー産業に携わっていても、炭鉱労働者の世界とは根本的に違う。

炭鉱労働者も過酷な労働者には違いない。だが、そこから無闇に明るい『炭坑節』が生まれた。それは、死と隣あわせの辛い労働を忘れるための破れかぶれの精神から誕生したにせよ、その唄と踊りはあっという間に全国を席巻していった。

炭鉱労働が国民の共感を得たことは、東映ヤクザ映画に通じる『川筋者』の物語が数多く生まれたことでもわかる。その系譜は斜陽化した常盤炭鉱を再生する「フラガール」の物語までつながっている。

だが、原発労働者からは唄も物語も生まれなかった。

 原発労働者はシーベルトという単位でのみ語られ、その背後の奥行きある物語は語られてこなかった。

私たちは原発建設に反対しなかったから、原発事故という手痛い仕返しをされたわけではない。原発労働をシーベルトという被曝単位でしか言語化できなかった知的退廃に仕返しされたのである」と書いています。

0 件のコメント: