2011年12月12日月曜日

佐野眞一の津波と原発(18)

 佐野氏は、この原発労働者の伝手で、福島原発の工事請負会社の社長に会うこともできました。

 「とにかく現場は映画のセットのようで、テレビなんかで観るのと全然違う。原子炉建屋なんて、壁の厚さが152メートルあって、そこに太い鉄筋が入っているのに、それが粉々になっているんだからね。

 現場はもう暑いの何のって。うちは四号機近くで配管をやっているんだけど、昼でも真っ暗でめちゃくちゃな暑さです。マスクに防護服、その上に、溶接の花火を防ぐ布製のつなぎを着ているから、暑くて作業なんかできないよ。

そこは四号機に近いから、注水作業が見えるんだ。水蒸気がバンバンあがってさ、そこに放射能が含まれていると思うと、怖くなるね。

地震の前までは従業員は200人近くいたんですが、100人逃げていまは半分くらいというところです。うちは元請けの下の会社から仕事をもらっているから、三次、四次団体ってところかな。ひどいのになると、十次団体なんてところもある。抜くのは一人千円ってとこかな。日当として作業員がもらえるのは12000円から2万円弱ってところ。

地震直後は日当40万円って噂があったが、あれはちょっとオーバー。

日当5万円、危険手当10万円の計15万円で話がついた」

 「大赤字で大変です。ある元請け会社は20ミリシートベルト浴びると、5年間、作業現場の仕事を補償するという覚書を作業員と交わします。別の社は年間18ミリ。けどすごいところもあって、100までOKという元請けもある」

514日に協力会社の60代の作業員が福島県第一原発内で体調不良を訴えて死亡した。亡くなった人の会社は夜の2時から昼の2時までの拘束でやっていた。作業員の体調管理は自己責任と、元請けからきつく言われている。東電? 被曝で死んだわけじゃないから、なんとも思ってないさ」

一定以上の被曝量に達した原発労働者は、使い物にならないとみなされて、この世界から即お払い箱となる。

それは、一回限りで使い捨てされる放射能防護服と同じである。

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