2011年10月4日火曜日

菅前首相「445日間の不毛」の政治(3)

 菅直人前首相は昨年68日の就任記者会見で自らの政治スタイルの本質を図らずも漏らしていました。自らの内閣を幕末の志士、高杉晋作にちなんで「奇兵隊内閣」と命名しました。

「高杉晋作を一番好き理由は逃げ足が遠いことなんだ。やばいと思ったらさっと逃げて…」

首相は内閣発足後、衆参予算委員会も党首討論も避け、わずか8日間で国会を閉じました。

番記者のぶらさがり取材も12回から1回に減らしました。東日本大震災発生後は、どういうわけか全く応じていません。

「責任放棄そのものの姿勢が象徴的に表れた」といって菅前首相は平成209月、政権末期の福田康夫首相がぶらさがり取材を拒否した際にこう批判しました。

鳩山由紀夫前首相は今年7月の産経新聞のインタビューにこう明かしました。

「菅さんは、私が首相のときに副総理として何度も『厳しい局面に立たされたら別の大きなテーマを示せば、そちらに国民の目が向いて局面を打開できるんだ』と進言してきた」

野党時代から新左翼用語の「一点突破、前面展開」を好んで使ってきた菅前首相らしいエピソードです。

消費税増税、雇用対策、環太平洋戦略的経済連携協定(TTP)、国会議員定数削減、クリーンな政治実現、脱原発。場当たり的にテーマを打ち上げ、すべて言いっ放しにした菅前首相だが、ある意味では首尾一貫しています。

国家公務員に総人件費2割削減-などは何のめども立っていません。

菅前首相が「退陣3条件」に挙げた予算執行のための特例公債法にしても、自民党ももともと推進していた再生エレルギー特別措置法にしても、首相がもっと早期に辞任していればとっくの昔に成立していたに違いありません。

菅前首相の存在そのものがすべての障害でした。

「天下の大患は其の大患たる所以を知らざるに在り」

高杉晋作の師である吉田松陰はこう述べています。菅前首相はついに自らが日本の大患だったことに気づくことはありませんでした。菅前首相はそれでも国会議員のバッジをつけて、反省の弁もありません。これからは、市民派政治家は信用しないことにします。

0 件のコメント: