2011年10月28日金曜日

放射線量は1960年代と同水準(2)

 茨城つくば市の「気象研究所」によると、放射性物質が最も多く地表に降ったのは1963(昭和38)6月で、1平方メートル当たり55万㍉ベクレル。米国や旧ソ連が繰り返した大気圏内での核試験で拡散した放射性物質が日本にも降り注いだためでした。この時期の数年間、セシウム137などの月降下量は1平方メートル当たり数万~数十万㍉ベクレルを観測しました。その後、90年代以降、セシウム137の月間降下量はピーク期の1万分の1以下となる10㍉ベクレル程度に落ち着いてきました。

放射線医学総研究所(千葉)は、現在の東京に60年代と同じレベルの放射物質が降っていることについて「健康への影響はないと考えられる」としています。「このレベルの放射能が健康に影響するなら、5060年代を生きた世代のがん発症率や死亡率が、他の世代より高くなるはずだが、そうした統計的なデータはない」からです。

こんな指摘もあります。「日本人の死因は、長らく①脳卒中②がん③心疾患―の順でしたが、81年にがんが首位になり、伸び続けています。5060年代に放射性物質を多くの日本人が取り込み、がん発生率が高まった」としています。

この指摘に対して、同研究所は、「がんは複合的な要因で発症するが、長寿になるほど発症率はあがるため、がんが増えた一番の理由は、日本人の長寿化と考えられる」と説明しています。「ストレスがたまると免疫機能が低下し、がんなどの発症率があがってしまう。神経質になりすぎるのも禁物だ」としています。

放射線量については、航空会社の客室乗務員などは、、ニューヨークを1往復すると、かなりの放射線量を被爆します。また、毎年のレントゲン検診でも浴びます。わたしは、前立腺がんの放射線治療で、コバルトを38回被爆(治療)しましたが、もちろんなんともありません。現在は、過剰な反応のような気がします。原子炉が、低音停止状態になれば、どんどん下がってゆくでしょう。雨の多く、地形の勾配が急な日本は、放射線も洗い流してくれると思います。

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