2011年7月22日金曜日

引き際

「引き際の見事さといえば、今も落語界の語り種となっているのが、八代目桂文楽の最後の高座である。昭和46831日、国立小劇場で「大仏餅」を口演中、神谷幸右衛門という人物の名が出てこなくなった。「申し訳ありません。もう一度勉強しなおしてまいります」と詫び口上を述べて高座を降り、その後は一切寄席に出ず、3ヶ月後に79歳の生涯終えた。その文楽にも、ひとつだけあきらめきれなかったことがある。

戦時中大陸や南方に行ったきり、消息のわからなくなった未帰還者が2万人以上もいた。文楽の長男もその一人だ。207月に大陸に渡り、まもなく消息が絶えた。

留守家族の多くは、時がたつにつれて帰ってこない夫やわが子の死を認め、遺族年金などを受け取るようになった。文楽はしかし、かたくなに手続きを拒んだ。『生きていると信じることが、親の生きがい』と語っていた」と産経新聞の産経抄は書いています。

東日本大震災の行方不明者は、いまだ8千人近くいます。災害発生から3ヶ月が過ぎると、行方不明者を「死亡」と見なし、家族に災害弔慰金が支払われます。「弔慰金を受け取れば、死を認めることになる」「生活のためにやむを得ない」として、残された家族は思い揺られているといいます。

そんな被災者の悲嘆の声を知ってか知らずでか、岩手県釜石市を訪れた菅直人首相は、ボランテイアセンターの壁の寄せ書きに、「決然と生きる」と書き残しました。今や首相の存在が、復興への最大の障害との認識が、与党内でも広がっているというのに、まだ居座るつもりらしい。引き際の悪さで、歴史に名をを残そうというのだろうかと産経抄は書いています。

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