2011年7月5日火曜日

大地震に学ぶ科学技術の役割

 かつて津波が襲い失われた地域はいくつか再び津波に見舞われるようです。自然災害に見舞われた先人は、そのことを後世に残そうとしています。宮古市姉吉地区には、「ここより下に家を建てるな」と石碑があります。今や有名な石碑です。畑村洋太郎東京大学名誉教授は、今回の大震災後に訪れましたが、石碑までには津波に来ていなかったそうです。

 それでも人間は都合よく忘れてしまう。

畑村氏は、失敗の記憶には法則性があると指摘しています。「個人は3年で忘れ、組織は30年で途絶え、地域も60年で忘れる。歴史的な事象も300年で社会から消え、1200年たつとその出来事がおきたことさえ誰も知らなくなる」と語っています。

大震災以降、埋まれていた869年の貞観大津波が話題に上回るようになってきました。これまでも地震学者や考古学者は問題提起をしていましたが、東京電力は対応の必要はないとしてすべて却下してきました。都合の悪い事柄はなかったことにするのが、人間の本質です。

畑村氏は、「どんな産業分野でも十分な失敗経験を積むには200年かかると考える。米機械学会は、1942年にボイラーの危険度を引き下げた。産業革命以降、ボイラーの爆発で1万人以上が命を失ったと見られる。ボイラーが出現して約200年がたって、ようやく手に負える製品になった。

 一方、原子力発電は始まってまだ60年しかたっていない」と指摘しています。

さらに、「日本が原子力を使わずに生きていけるとは思わない。世界銀行から借り入れまでして完成させた黒部ダム(黒部川第4発電所)の発電能力は34万㌔㍗程度だ。これに対して、原発は1基で100万㌔㍗を超えるものもある」と話しています。結果的にコストパフォーマンスがいいのが原発ですが、その分、危険と隣りあわせということでしょう。フランスなどは、あれだけの原発を稼動させ、ドイツに電力を売っています。しかし、事故の話は聞きません。ノウハウ、考え方が、日本とは大きく違うのでしょう。日本は、学ばねばなりません。

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