2011年5月25日水曜日

モナリザの遺骨調査(5)

 ジョルジョ・ヴァザーリが、1人芸術家の作品と生涯を紹介した『画家・彫刻家・建築家列伝』(1550年)の中で、フォンテーヌブロー宮殿にある『モナ・リザ』にふれ、モデルをフランチェスコ・デル・ジョコンド("Giocondo")の妻であるとしました。「モナmonna()」は「婦人」、「リザ」は「エリザベッタ」の愛称を意味しているそうです。ちなみに、イタリア語での名称「La Gioconda」は「ジョコンド」を女性形にしたもので、ルーブル美術館でも「La Joconde」と称しています。なお、17世紀のフォンテーヌブロー宮殿の財産目録には「紗のベールをまとう宮廷婦人」となっていました。

フランチェスコは実在した裕福な人物であり、当時フィレンツェの中で政治的にも権威を持っていました。しかし、その妻であるリザ・デル・ジョコンド(リザ・ゲラルディーニ)については、14791016日に生まれ、1495年にフランチェスコと結婚したことは分かっていますが、それ以外はほとんど分かっていません。また当時、肖像画の服装、背景、髪型にはモデルを暗示するモチーフが盛り込まれることが一般的でしたが、『モナ・リザ』においては服装や髪型から明確な特徴が得られず、背景にも茫漠とした風景が描かれているのみで、特定の個人を示す暗示がほとんど得られません。

このため20世紀に入って、ヴァザーリの記述に対する疑問から、絵のモデルはジョコンダではないとする異説が複数唱えられてきました。

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