2010年11月26日金曜日

ダライ・ラマ(3)

 UNESCOに登録されたラサのポタラ宮殿を3ヶ月かけて移動し、ダライ・ラマの夏の離宮であるノルブリンカ(宝石の庭園の意)に入りました。そして、1940年冬には、ポタラ宮殿に移動し、チベットの精神的指導者の座に正式に就任しました。

 1950年に中華人民共和国の人民解放軍がチベットを制圧、全域を自国に併合しました。その後に発生したチベット動乱後にインド北部のダラムシャーラーにチベット亡命政府を樹立し、同政府の長となりました。その後は、チベットの自治権を訴え、チベット人に対して中華人民共和国の中国共産党政府が行ったさまざまな人権侵害行為についての批判などの活動を始めました。

 また、チベット亡命政府の長としてだけでなく、チベット仏教の指導者としても、アメリカ、ヨーロッパ諸国、日本を始めとする世界各地をたびたび訪れ、仏教に関する講演、宗教的な対話など活発に行っています。

 ノーベル平和賞受賞
 1989年には、世界平和やチベット宗教・文化の普及に対する貢献が高く評価され、ノーベル平和賞を受賞されました。ノーベル平和賞の受賞に対しても中華人民共和国政府は完全な無視を行っただけでなく、関連図書の持込さえも禁止しています。中国では、出版も勝手には行えません。

  このノーベル平和賞の受賞について、朝日新聞は社説において「チベットの緊張を高めるおそれさえある。そうなれば『平和賞』の名が泣こう」と批判していました。ときどき朝日は、理解できないことを書きます。

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