2010年11月17日水曜日

吉村昭氏と宇和島(2)

 さらに吉村氏は、
「有名なエピソードですけれども、弘化2(1845)年に第七代の藩主宗紀が、江戸から参勤交代で帰って来る。佐田岬半島の三机に上陸しましたときに、たまたま年とった女がイか釣り船から上がって歩いていた。藩主の行列にあってひれ伏すわけですが、宗紀がこの老婆に目をとめまして、『おばば、イカは釣れるか』と言いました。藩主から声をかけられたので、老婆はびっくりしてしまいまして黙っていますと、宗紀がさらに『おばばはいくつか』というので、トクというその老婆が百歳だと答える。すると老婆が持っていた茶碗でお茶をのませろと宗紀が言うので、家臣が茶碗を洗おうとしたところ、『洗わないで長寿にあやかる』と言ってそのまま飲んだ。宗紀はそういう気さくな藩主であった。

 アーネスト・サトゥという人が著した『外交官の見た明治維新』、これは、イギリスの公使パークスが軍艦で鹿児島へ行きまして、慶應2(1868)年に宇和島へ入った。それに乗っておりました通訳のアーネスト・サトゥという非常に優秀な人が、その当時の印象を書いているものです。

 『宗城は顔立ちのきつい、鼻の大きな、丈の高い人物で、年齢は49歳、大名階級の中でも一番の知恵者の一人だといわれていた。

 伊達宗城という人物が、当時日本での指導的立場にあった人物だということを、イギリス人であるアーネスト・サトゥも知っていたのです」と、書いています。

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