2010年11月7日日曜日

吉村昭の『川路聖謨』(1)

 吉村昭氏が『落日の宴』の主人公で『川路聖謨』を取り上げています。わたしは、随筆集の『白い道』しか読んでいませんので、川路聖謨の奈良奉行時代にふれられているかどうかは分かりません。

 吉村氏は川路聖謨を主人公とする『落日の宴』は、平成6(1994)年の『群像』新年号から1年10ヶ月にわたって『落日の宴』と題する歴史小説を連載しました。

 この中で「川路は、幕末という時代に 光のようにひとわき鋭い光彩を放って生きた人物である。軽輩の身から勘定奉行筆頭まで登りつめたことでもわかるように、頭脳、人格とも卓越した幕史であった。それは、幕末という一歩道をあやまれば日本が諸外国の植民地になりかねない激動期に、老中たちがまず人材登用を第一とし、家柄そのほかをほとんど無視したことにもよる。

 彼は外交官としても第一線に立ち、ロシア使節プチャーチンとの間で日露和親条約を締結する。プチャーチンに少しも臆することなく、堂々とした弁論を展開する。それは、かれが外国事情に精通していたからであって、その駆け引きはまことに巧妙である。

 プチャーチンにとって川路は外交交渉の敵であるが、プチャーチンは、川路の聡明さと外交官としての鋭い感性に感嘆し、類い稀な人物と激賞している。川路とプチャーチンとの間には敬意と親愛の念が感じられ、まことに快い」と書いています。今の外務省の弱腰外交官は、見習わねばなりません。川路と今の外交官の差は何でしょう。明日、書きかす小村寿太郎らと差は何でしょう。人間性がないように思います。

 そこで、吉村氏は「私が川路に強く魅せられたのは、その人間性である。

 役人としての分をわきまえた態度が見事である。当時、水戸前藩主徳川斉昭は強大な権力をもっていたが、川路は斉昭の誘いにもかかわらず近づくことを避け、一定の距離をもって接している。大の酒好きであるのに、公務の旅では一切杯を手にせず、家臣にも禁酒を課した。旅中、各藩領を通って大名に迎えられるが、接待を受けるのを避け、贈り物も受け取らない。幕史として、常に身辺を清らかにするよう心掛けていた」と国の税金をいいことにワインを買いだめしている今の外交官とは、大違いです。(明日に続く)

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