2010年10月15日金曜日

チリ鉱山落盤事故の全員救出

 このことについては、テレビ、新聞で報道されていますので、詳しく書くことはやめておきたいと思います。

 チリ鉱山の落盤事故は、8月5日に発生しました。作業員たちは、その後、69日間、地下700メートルで過ごして来ました。そして、救出作戦は日本時間の10月13日午前9時半すぎから始められました。

 世界中が見守る中、午後0時すぎ、1人目の作業員が、69日ぶりに地上に姿を現しました。生還第1号となったのは、フロレンシオ・アバロスさん(31)でした。
そして、およそ24時間後の10月14日9時57分、作業員33名全員が地上に無事帰還しました。わたしも興奮しながらテレビを見ておりました。

 正直なところ、こういったカプセルで無事救いだせるのかと半信半疑でした。カプセルを引き上げる機械もなんかヤバそうな感じでした。ところが、1回もトラブルことなく、作業員33名と救助隊員5名を引き上げました。久しぶりに感動しました。

 偉いと思ったのは、チリのビニョラ大統領です。かなりの高齢だと思うのですが、奥さんとともに最初から最後まで、立って作業員が救出されるのを見守っていました。そして、作業員が救出されるたびに笑顔で抱き合って迎えていました。この笑顔が、すばらしく温和で、「チリ国民は幸せだなあ」と思いました。

 そして、33人目の現場監督であったルイス・ウルスアさんが救出されて、10時1分、全員でチリの国歌を斉唱しました。感動的なシーンでした。日本は、昼でしたが、チリは夜です。山々に響いたことでしょう。今回の救出劇によって、チリという国は、さらにひとつになったような気がいたします。ピニェラ大統領は全員帰還に「生涯忘れられない夜になる」と喜びを語っていました。

 それと比べて、日本はどうでしょう。菅首相がビニョラ大統領のように何十時間も救出を指揮し、立ち会ったでしょうか。「君が代」嫌いの菅首相は、一緒に国歌を歌わなかったでしょう。国も経済もいい時には、国が、会社が、ひとつに固まっているように感じました。

 最後に引き上げられた事故当時の現場監督のルイス・ウルスアさん(54)にも感心します。落盤事故があったときにシェルターには、3日分の食料しかありませんでした。救助が来るまでには、20日はかかると考え、食料を2日に1回、マグロの缶詰を小さじ2杯、ミルクを半カップとしました。

 しかし、皆、体が大きいので不満もあったでしょうが、生き抜くということに全員の意思を固めました。実際には、17日目に生存が確認され、以降は小さなパイプから食料や水が運び込まれました。
 
 小さなシェルターも3つに分けたようです。寝室と居室ほかに。だらだらした生活は、全員をダメにすると考えたのでしょう。これらのことについては、後日、ウルスアさんが本にするでしょう。また、救出に当たってもかれが偉いのは、最後の一人となったことです。救出中にも地震があれば、それでおしまいです。チリは地震が多いところです。実際は、救助員が5人降りて来ましたので、かれが最後にはなりませんでしたが、内心は心配だったと思います。

 感心したのは、最後のウルスアさんが救出されるまで、33人の家族全員が待っていたことです。主人が病院に運ばれると自分たちも病院に行こうとするでしょうが、このひとたちは、みんなで待っていました。

 また、家族もたいしたものです。いつ、救出されるか分からないのですから、鉱山会社の用意したホテルにいる方が楽だと思うのですが、2カ月間、現場近くでテントを張り、この日を待ち続けました。
今回の救出劇で、単純ですが、チリを一度に好きになりました。リチウムイオンを買いに行かないといけません。

 最後に、ヨニ・バリオスさん(50)をめぐる2人の女性の闘いに決着がつきました。地上に戻っての熱い抱擁の相手は愛人のスサーナ・ヴァレンズエラさんでした。

 バリオスさんをめぐって、妻マルタ・サリナスさん(56)とヴァレンズエラさんがともに「彼が愛しているのはわたしの方」と主張していました。バリオスさんが地下にいる間に裁判になりましたが、決着していたようです。 地元メディアによると、サリナスさんは「神の奇跡だわ。でも、私は救出を見ないでしょう。彼は私に見に来るか聞いたけど、もう1人の女性にも聞いたことも分かっているわ。それに私は品のある女性なの」と話し、自ら身を引く決意を示していたそうです。 もうひとつ余談ですが、最年少(19歳)のジミー・サンチェスさんは、搬送された仮設診療所を抜け出して、ガール・フレンドに会いに行ったそうです。

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