2010年6月25日金曜日

読書術(16)

 轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』の16話目、最終章です。
 

 人生の大目的をどう考える?

 古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトス(紀元前6世紀ごろ)は、「万物は流転する」という言葉で知られています。万物の「流転」を文字に定着させたものが書物であり、その書物を読む行為が、次なる流転を生みます。


 「流転」を生む行為とは、歴史を自分のものとして生きる行為であり、歴史に参加してゆく行為ではなかろうか。

 読書とは、歴史に参加することです。

 テレビは、タレントたちがワイワイ騒いでいるとしか思えない番組は、こちらの頭をからっぽにする。からっぽにすればするほど、面白い。受ける番組ということになるのです。「1億、総白痴化」と呼ばれたこともありました。

 テレビ局で優秀な人材は、ほとんど間違いなく読書家とも語っています。
 いいアイデアは、異なる分野から「盗む」しかありません。テレビのアイデアは、他のテレビ局ではなく、本から盗むのです。

 古代ギリシャで、神々は人間の右脳に語りかけてきたといいます。人びとが、神々の声によって行動していた時代もありました。


 そのような恐るべき厳粛な事実を、わたしたちは書物によって教えられてきました。ところが、「神々の声」は、文字と、そして書物の発明とともに消滅してしまいました。

 白川静氏の『字統』『字訓』『字通』によれば、『漢字 生い立ちとその背景』に、
ことばが、その数十万年に及ぶ生活を通じて生みだした最も大きな遺産は、神話であった。神話の時代には、神話が現実の根拠であり、現実の秩序を支える原理であった。人々は、神話の中に語られている原理に従って生活した。

 とあります。

 「読む」ことが「考える」ことになり、さらに「書く」ことになるのです。人間にとっては、「読む」「考える」「書く」ことこそが「万物」なのです。

 轡田氏は、「読んだふり」をしたり「読んだつもり」になったりしながら、いまも、これからも、書物の「生々流転」を楽しもうとしていると言います。


 そうすれば、「1000冊読破」なんて、たやすいことであり、読めば読むほど、「わからないこと」が増え
てゆく幸せにひたれるのであるとも書いています。

 iPadが普及すると図書館や本棚は、なくなるのかとふと思いました。しかし、わたしは、活字派のようで、書物の方が安心感があり、本棚の方が必要な書物をすぐに引っ張り出せます。iPadでも、書物ででも、できるだけ本を読みましょう。

 ただ、轡田氏とか、批評家の書物を読むと、推理小説や時代小説には、まったく触れられていません。わたしなどは、本は楽しければ本ではないと思っていますので、池波正太郎や、藤沢修平、司馬遼太郎、松本清張なども好んで読みます。これらの本は、どうなのでしょう。漢字・平仮名・カタカナの文を読むことによって、頭が活性化するという前提に立てば、こういった娯楽小説でもいいように思います。一度、轡田氏に確認してみたいと思います。

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