2009年12月31日木曜日

曹操の陵墓発見

新華社通信によると、河南省文物局は27日、同省安陽市安陽県で、三国時代の英雄で魏の国の基礎をつくった曹操(155~220年)の墓を発見したと発表しました。墓から曹操を示す「魏武王」と刻まれた銘文と出土品および60歳前後とみられる男性の遺骨が見つかり、中国の考古学者や歴史学者らが鑑定した結果、曹操本人のものと断定しました。
 墓の総面積は740平方メートル。前後に2つの大きな墓室と4つの副室があり、最も深いところは地表から15メートル。金や銀の器や、鉄剣、水晶珠など約250点の副葬品があり、曹操の遺骨のほか、2人の女性の遺骨も見つかりました。
 文物局は、墓を曹操のものと断定した理由として
(1)墓の規模が巨大で、魏王となった曹操の身分にふさわしい
(2)墓から出土した文物は、いずれも後漢と魏の特徴があり、曹操の時代と一致する
(3)墓が見つかった場所は、「三国志」などの歴史文献とほぼ一致する
(4)副葬品の特徴が、曹操の「遺令」(遺言)とほぼ一致する
(5)墓に曹操を示す「魏武王」と刻まれた銘文が複数見つかった
(6)男性の遺骨は60代で、曹操の死亡時の年齢と一致する
の6つを挙げています。
地元の考古学者らは、1998年に曹操の墓の位置を示す墓誌を見つけて以降、周辺で調査を続け、昨年12月から本格調査を開始しました。墓には何度も盗掘された跡があり、一部の副葬品が盗まれた可能性もあるということです。墓の正確な場所は「千古の謎」の一つとされてきました。
 曹操は後漢末の混乱期に中原を統一した武将で、蜀の劉備と呉の孫権と天下を争ったことで知られています。最近の映画“レッドクリフ”でも主役級で出て来ます。“三国志演義”のために曹操は悪役にされていますが、実際は明君だったようです。中国では、劉備よりもむしろ尊敬を集めています。
曹操は埋蔵された墓「高陵」の具体的な位置を裏付ける確かな証拠は、長年発見されていませんでした。そのなかで、発掘された「曹操墓」は各メディアの注目を浴びましたが、その真偽をめぐっていろいろの意見が出ています。
 多くの専門家やネットユーザーからその信憑性を疑問視する声が上がっています。曹操の身分を証明する最大の根拠とされた「魏武王」の銘文が刻まれた石碑と石枕は、この調査で見つかったものではなく、盗掘者から押収したものだとするネットユーザーもいます。文化学者や考古学者の中にも、より説得力のあるものが出土されない限りは、不用意な断定は避けるべきだとの意見が多数を占めています。
 しかし、漢字の発祥の地では、銘文などが残っていて、比定するのが楽ですが、日本では、卑弥呼の墓とされる箸墓でも碑文がありませんので、厄介です。日本でも天皇陵などの発掘が出来ればいいのでしょうが、宮内庁がガンとして、認めません。これが続く限り、日本の歴史は、謎のままです。

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