2009年3月24日火曜日

奈良桜井・纒向(まきむく)遺跡で宮殿跡か?

 奈良が「卑弥呼の宮殿」発掘か(?)で、騒いでいます。邪馬台国近畿説の人は、これで決まりだと云わぬばかりです。もともと、この地域は卑弥呼の墓と想定される箸墓があり、その北の地域です。日本最古級の前方後円墳が6基もあり、纒向型古墳として知られています。どちらかというと帆立貝に似た形をしています。卑弥呼が中国の魏に使者を送ったのが、3世紀前半の239年といわれています。これまで箸墓ももう少し時代を遡ると思われていました。それが、3世紀前半の建物跡(柱穴)や凸字形の柵などが見つかりました。過去に発掘されたものと合わせると、3棟が東西に整然と並んでいることも確認され、卑弥呼がまつりごとを行った宮殿の一部との見方が浮上しています。さらに東に掘り進めば、中心施設が出て来ると予測されています。
 最近、九州説の分が悪くなって来ていますが、九州説をとる学者は、「吉野ヶ里遺跡に比べても小規模で、邪馬台国が北部九州であることは間違いない」と語っています。残念ながら日本には文字として残ったものがなく、あくまで傍証にしかなりません。わたしは、福岡に生まれ、現在、奈良に住んでいますので、どちらにも愛着があります。日本書紀や魏志倭人伝を参考にすると、邪馬台国は北部九州にあり、倭の大乱で西から東征し大和に至ったという説をとりたいと思います。それにしても桜井市教育委員会の人や、橿原考古学研究所の人たちは非常に熱心です。執念の差では、北部九州は負けているかも分かりません。奈良には多くの文化財が眠っています。わたしも俳優の刈谷俊介さんのように発掘に協力したいと思ったりしますが、実現できていません。

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