2009年3月10日火曜日

飛鳥浄御原宮

 今、奈良県立橿原考古学研究所の手によって、飛鳥浄御原宮の北限を求めて発掘調査が行われています。飛鳥浄御原宮は、天武天皇(在位673~686年)が壬申の乱に勝利して即位した場所です。このたび、北限の石神遺跡がかなり丁寧に発掘されました。飛鳥浄御原宮の大極殿は、宮の南に位置し、今の明日香村役場の東にあったと推定され、正殿などは、のちの平城京などと異なり、北に延びていたとされます。これまでは、大型建物跡があったところまでが、北限と考えられていました。それが、さらに北600mにある石神遺跡の発掘があり、ここまで当時、役所が延びていたとされますと、南北1.4kmにも及んでいた可能性が出て来ました。およそ倍の広さになります。石神遺跡の建物は、屋根の一部を瓦をふいた豪壮な門の構造で、諸国の使節をもてなした迎賓館ともいわれています。使節をここで迎え、大極殿まで長い距離を歩かせ、日本の都を誇らしげに見せたことでしょう。
 明日香にいかれますと、飛鳥時代がそのまま残っているように錯覚します。横を車が、不必要と思われるスピードで走り抜け、現実に引き戻されます。この大極殿のあったとされる場所から、東南の方向に石舞台があります。蘇我馬子の墓とされます。天武天皇によって大和朝廷が確立します。日本の五大改革の第1回目です。春、明日香を歩かれると、日本のふるさとを感じます。日本の歴史に思いを馳せるのも現代人には大事なことかも分かりません。

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