2008年7月7日月曜日

元小結の旭鷲山がモンゴルで当選

 元小結の旭鷲山のダヴァー・バトバヤル氏が6月29日に投票が行われたモンゴル国民会議(日本の国会に相当、定数76)の総選挙で、改革派の最大野党の民主党から立候補し、トップ当選を果たしました。最高位は小結、身長180cm、体重141kg。16歳の時にナーダム相撲の少年の部に出場しましたが、貧乏で食べる物がなく、腹を空かせていたところに、4歳の幼児が食べ物をくれました。この幼児が後の白鵬であったそうです。しかし、お互いにそのことを知りませんでした。白鵬が来日したものの入門先が見つからず、帰国寸前に旭鷲山が骨を折って、宮城野部屋に入門できましたが、二人は、その後しばらく経っても、互いにその時の相手であったことに気付きませんでした。
 旭鷲山は、1991年に大島親方が、モンゴルで行った新弟子公募に応募し、170人の応募者の中から旭天鵬、旭天山らととも選ばれ、初のモンゴル出身力士として来日し、1992年3月場所で初土俵を踏みました。入門当初は稽古の厳しさや生活習慣に馴染めず、駐日モンゴル大使館に逃げ込んだりしましたが、モンゴルの実家まで来た大島親方に説得されて部屋に戻りました。「技のデパートモンゴル支店」(“本店”は舞の海)と評されました。新入幕から3場所で小結に昇進したが、新三役となった1997年3月場所で負け越して以来、一度も三役に復帰することはなく、また十両に落ちることもなく、2006年11月場所まで58場所連続平幕在位の史上1位の記録を持っています。十両陥落が見える地位になると大勝ちを見せて一気に番付を上げ、上位で負けた後は、わずかな負け越しを繰り返し、少しずつ番付を下げていくパターンでした。自力がないとできない芸当です。2003年7月場所、同郷の後輩である横綱・朝青龍との一番で横綱が旭鷲山のマゲを掴み、反則で勝ちになりました。取組後の風呂場で両者は激しい口論となり、居合わせた魁皇が割って入って止めたといいます。怒りが収まらない朝青龍は、旭鷲山の車のサイドミラーを壊して弁償する騒動にまで発展しました。旭鷲山は事業をやっても成功し、朝青龍はうまくいかないでしょう。
 旭鷲山は2004年、早稲田大学に入学し、人間科学部人間情報科学科の通信教育課程にて学び始めた。早稲田大学を志望した理由は、モンゴルの大統領ナツァギーン・バガバンディと外務大臣小渕恵三の会談に同席した際に小渕氏が勧めたことがきっかけでした。
 旭天鵬は将来、親方になり後進を指導することを目指すため日本国籍を取得し、帰化しましたが、旭鷲山は帰化をしなかったために、規定により相撲協会に残ることは出来ませんでした。永住権を返上して帰国し、実業家として建設、通信、貿易業などを手がけ、今回、国会議員に当選しました。また、モンゴル語、日本語に加え、ロシア語、朝鮮語にも精通しています。
 面白いエピソードが残っています。来日前に、日本は科学が進んでいて、声をかけるだけで物が出ると聞かされていたために、ジュースの自動販売機に一日中、「ジュースください」と声をかけお辞儀をしていたということです。
 この選挙では、与党のモンゴル人民革命党と野党の民主党が拮抗する予想でしたが、結局は与党が大勢を占め、選挙結果も改竄されたと民主党党首も強調しています。この選挙結果もあって、7月2日、首都のウランバートルで暴動が起こっています。暴動の背景には、格差社会や汚職などに対する国民の鬱積した不満も指摘されています。死者も5人出ています。格差の多い社会は、不安定になります。日本も、どんどん格差の大きい社会になりつつあるように思います。
 旭鷲山は、当選後、「日本とモンゴルの友好の懸け橋に役立ちたい」と語っていますが、モンゴルは、銅や金などの資源も豊富ですので、是非、いい関係を構築してほしいものです。
(Photo By 共同)

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

元旭鷲山氏国会議員当選おめでとう、しかし
一国の国会議員になる資格ない、日本で約束した事を守らない人間です、事業家として契約書に署名しているにもかかわらず、連絡しても明確な回答もしない、モンゴル人だから
関係ないといつて問題を正面か捉え様としない、このような人は、政治家、事業家になる資格ない。サンデ-毎日(週刊誌)でも報道されている。

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